#なびるな世界一周 へ行く〜第6話スペイン編〜

#なびるな世界一周

 君達は普段、美術館に行ったりするだろうか?

 芸術に触れるということを日頃から行っているだろうか。

 

 私はまぁ頻繁とは言わないまでもふらっと目についたら入っていったり、何かのついでに寄ったりするくらいはする程度だから「行く」という分類をしても差し支えないだろう。

 ちなみに、それをした上で感銘を受け、自分の創作に影響を与えた……などということが起こったことはない。

 

 さて、ここスペインはマドリードには世界遺産があることを皆さんはご存知だろうか?ちなみに私は知らなかったので、隣にいる彼が教えてくれた。

 プラド通りは世界遺産になっているんだそうだ。

 そして、世界遺産になっているのは車道に挟まれた公園のようになっている道のみ。

 なるほど、さぞ美しい景色が広がっているのだろうと私はわくわくして踏み入れた……のだが、これ普通の公園じゃない?

 世界遺産、というわりには特に珍しいものもなければ歴史も感じない。一体、これのどこが世界遺産なんだ、と疑問に思っていると、曰く、この道沿いには美術館や芸術的なものが立ち並んでおり、美術と科学の啓蒙を与えた道であることから世界遺産に認定されているらしい。

 なんだそのこじつけみたいな理由の世界遺産は!、と思った読者しょく……え?思ってないって?うるせぇな俺が思ったんだからお前も思っておけよ、そんなんじゃここの読者つづけらんねえぞ、思ったな?思い込んだな、よしすすめ。

 なんだそのこじつけみたいな理由の世界遺産は!、と思った読者諸君、私ももちろんそう思った。

 どう考えてもこの旅で見てきた他の世界遺産に比べて格調が低い。(格調云々って書くと途端に厄介評論家っぽくなるね、具体的な指摘をしていないからだろうね、これからも使っていこう)

 

 しかし、文句ばかり言っても仕方がない、ユネスコが仮にヨーロッパに対して甘いとしても、ボクよりも賢くて偉い人たちが決めていることだけは間違いないのできっと、ボク自身の問題なのだろう。

 

 そうだ、啓蒙だ。

 

 啓蒙を与えること、を込みでこの道が世界遺産に認定されているとするならば、啓蒙を与えらなければ、この道の真の価値は理解できないのではないのだろうか。

 そうだ、そうに違いない。

 

 我々は思い立ち、啓蒙を与えられるべく、啓蒙的な施設へ向かうこととした。時刻は18時。

 何故、そんな遅い時間に?と思った方もおられるかもしれないが、マドリードの美術館などは閉館(20時)の2時間前から入館料が無料になる。

 もうこれを狙っているというだけで浅はかとしか言いようがないのだが、その日は午前中にトレド観光、午後マドリードの街中を観光していたので、自然とこの時間になってしまっていたのだ。本当だよ!嘘じゃないって!どうして誰も信じないの?たまにはいいじゃない!いまにみてろ信じないと許さないから!

 

 ここで我々はとある選択を強いられていた。

 啓蒙の道には大きく分けて2つの目玉がある。

 一つはプラド美術館。

 一つはソフィア王妃芸術センター。

 前者は大変大きな美術館で収蔵品もスペインで1番多い。行けば大変感銘を受けること間違いなしだろう。

 後者は芸術センターとあって美術館ではなく、展示物も現代アート寄りの施設ではあるが、ここには世界一といっても過言ではないだろうアート作品、ゲルニカがある。

 しかし、いくら我々に計画性がないとはいってもこの2つの施設を2時間以内に両方回るのは無茶だということはわかる。

 それに、無料開放時間になると皆、その時間を狙ってやって来る為、行列ができるらしい。お前らちゃんと金払って美術品を見ろ。

 

 十分な議論の末、我々はプラド美術館へ行くことを選択した。

 

 収蔵品の多さもさることながら、午前中、トレドでガイドさんに聞いた宗教画に対する解説が頭によぎったからだ。(トレド観光はガイド付き、マドリードは二人で勝手に歩いてた)

 決して、プラド美術館の方が今いる位置から近かったからではない。

 美術館に辿り着くと、平日だというのに行列ができていた。お前らちゃんと金払って美術品を見ろ。

 最後尾へ並び、入館できたのは18時半。

 さて、閉館時間までじっくりと啓蒙を与えられますかね。

 

 

 

 

 

 ……15分後。

「プラド美術館、見尽くしちまったな」

 二人は顔を合わせてそういった。

 そう、我々には教養がなかったのである。

 美術品を見極める術を「なんか見たことある絵」か「なんか聞いたことある名前」以外に持ち合わせていないのだ。

 いや、正確にはなんかこの絵いいな、と思う感性ぐらいはある。しかしながら、その背景まで思いを馳せることができないのである。

 美術館に飾ってある作品というのはその作品が描かれた歴史的意義、メッセージ性も含め、その上で作品としての良し悪しを判断する必要がある。しかしながら、教養がなく、さらにスペイン語も英語も読むことのできない我々ではその背景を紐解くことができないのだ。

 絵というのは恐ろしいもので、昨今のSNS事情を思い返してほしいのだが、これらは本当に一瞬にして消費されてしまう。SNS上に流れたきた絵を開いて1分以上見つめる人間というのは世の中、どれほどいるのだろうか。絵を見るのに要する時間は精々が3秒だ。

 仮に、現在絵を描くのに要する時間が仮に6時間だとしよう。それを消費するのにかかる時間が3秒なのだとしたら、その制作者の労力の7200分の1の時間で消費できてしまうのである。なんと効率のいい娯楽であろうか。メッセージを受け取る為に要する時間は短ければ短い方がいいのだ。文章が堕落するわけである。

 美術館に飾ってあるような絵であれば6時間などというのはとんでもない。何ヶ月もあるいは何年もかけて描かれたものも少なくないだろう。そのメッセージを3秒で得られるのだ。

 

 得られているか?

 

 残念ながらその絵に込められたメッセージをボクが受け取れている気はしないのだが、それでも絵をみることで、こう、なんていうのかな、何かが啓蒙的な内なる熱情みたいなものが、ボクの体内を巡ったりしたりしなかったりしてるんじゃないかな?多分。表面的にはわからないけど。

 こうやってボクは美術館内で一切足を止めることなく、凄まじいほど効率よく啓蒙を得たわけだ。

 

「ゲルニカ梯子しちまうかー」

 

 我々はプラド美術館に満足したので、ソフィア王妃芸術センターに向かおうとしたわけだが、実はそのあとなんと15分、つまり合計で30分はプラド美術館を堪能したのだ。

 

 そう、我々には方向感覚がなかったのだ。

 出口に辿り着けず、プラド美術館をさまよってしまった。

 しかも、見尽くしたはずだったのに、何故か見たこともない絵がわんさか出てくる。不思議だ。

 

 しかし、迷ったおかげで見ることができた絵もある。

 それはレニの絵だ。レニは別館でコーナーが設けられていた。

 先に言っておくが我々のどちらかが、レニの絵が好きだとかそういう事実があるわけではない。午前中、トレドでガイドさんに聞いた解説が頭によぎったからだ。

 

『レニは男の子の裸を描くのが好きだったので同性愛者だったのではないか、と言われています』

 

 たしかに男の子の裸の絵が多かった。これは疑われても仕方ないわ。なるほどな。

 

 そんなこんなでプラド美術館を十分に堪能した我々はソフィア王妃芸術センターへと辿り着いた。入館時間は実に19時半。まだ列はあった。

 他の絵をすべて無視し、まっすぐにゲルニカに向かう。他の入館者も同様だった。ちゃんと美術品を見なさい。

 無事、制限時間内にゲルニカに辿り着いた我々の感想はこれだ。

「ゲルニカを見た」

 そう、ゲルニカを見たことが大事であってそのゲルニカがどのような意義を持っているかは大事ではないのである。

 ゲルニカを見ることによって人生のスタンプラリー「ゲルニカを見る」達成した。それだけの話である。

 大体、絵なんてもんはよぉ、別に美術館で見なくても図書館で図録でも借りて見ればいいじゃねぇか、実物と印刷物にどれほど差があるってんだよ、実物を見たって達成感以上の差はないだろう?

 5分でゲルニカ鑑賞を終えた我々は一応、閉館時間まで会場内の現代アートを見て回った。現代アートは良い。何故なら堂々とわからんっていっても怒られない気がするからだ。

 

 こうやって無理だと思われた2時間でのプラド美術館とゲルニカ鑑賞を我々は成功させてしまった。

 これによって得られたものは行ったことがあるという事実とゲルニカを見たことがあるというマウントを取れる権利のみだ。

 

 巷でよく言われる言葉にこういうものがある。

 教養がないやつは下ネタ以外に会話のネタがない、と。

 レニを見ながらボクは自分の教養のなさを痛感したのであった。

 

 それではまた、次の国でお会いしましょう。

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